大阪万博と敦賀
Date:2016-11-25(Fri)

あまりにも鮮烈だった。高校生だからなおさらかもしれない。あれから半世紀近くがたつ。三島由紀夫が東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹自決した事件。今日がその日。確か「金閣寺」を読み終えたばかりだから強烈だった。

市ヶ谷の自衛隊本部のバルコニーから屋外の自衛隊員へ決起を呼び掛けた。総監部の総監室において割腹自刃した。高校の昼の授業で知らされたとき衝撃はいまでも覚えている。

やはり、この時代ノスタルジックな気持ちになるのが大阪万博。四国からフェリーにゆられてたどり着いた会場。今ではあちこちで見られる動く歩道に驚き、月の石を見るのに4時間並んで入ったアメリカ館。

「進歩と調和」といった標語は、この時代の空気だ。新聞で「長蛇と辛抱」との表現があった。満員電車と高度成長の時代でもあった。

筑波科学博や沖縄海洋博、花の万博、愛知万博−と後に開かれた万博は数ある。どれも行くことはできなかったが、大阪万博ほどわれわれの年代の記憶に残った博覧会はない。

政府が2025年の万博を大阪に誘致する調整に入ったとか。20年の東京五輪に続く経済活性化策の目玉にする考えという。前回、東京五輪(1964年)の6年後に大阪万博が開催されており、高度成長期の再来とも思えないが、夢を再びとも思える。 この時代、敦賀1号が大阪万博へ「原子の灯 万博へ」の朝日新聞の記事と共に思い出す。

「大阪万博に原子の灯を」が発電所の合い言葉だったと先輩から聞いている。1969年10月3日、国内初の軽水炉として日本原電の敦賀1号機が初臨界に達した。

中央制御室で社員、関係者、報道陣が見守る中、拍手と歓声に包まれた映像が残っている。敦賀市の人口が5万5千人、その後、6万9千人までかけ上がった原動力になったことは確かだ。

時代の空気や環境は大きく変わったが、いま、必要なヒントがあるようにも思う。

 
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【2016/11/24】 | ページトップ↑
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