阪神淡路から22年だがーーー。
Date:2017-01-17(Tue)

松の内も終わった。ただ、まだ各種団体の新年会は今月も続く。

一方で今年も「1・17」が巡ってきた。正月気分を拭い去り、心に鮮烈な記憶を残す阪神・淡路大震災の発生から今日で22年になる。

5日後に訪れた三ノ宮の廃墟は忘れられない光景だった。5年間過ごした神戸、バイトで通った三ノ宮だけにその変容は目に焼き付いている。夜のテントで過ごした公園と、寒い体感はけっして忘れることはできない。

JRで大阪から甲子園口まで、様相が極端に変わった。ブルーシートで覆われた屋根が増えてくる光景。

甲子園口駅を降りると、さながら戦後すぐの光景とよくにていた。背中にリュックとアノラック、長靴と人々の服装が変わった。大阪駅では背広姿と、近距離でのギャップはなんとも言えない違和感だった。西ノ宮で自転車を借りて5時間かけて三ノ宮へ。その間の光景は倒壊した家屋、火災にあった家々と災害とは、まさに戦場さながらの爪痕だった。

「阪神淡路」後も、東日本大震災など日本各地で大きな地震が起こった。南海トラフ関連地震の危険性もさかんに語られ、防災、減災の意識は高まってはいる。

今一度胸に刻んでおきたいのが、災害発生時の近所の助け合い、協力のこと。災害経験者が回想する際によく口にするのが、他人である近隣の人に助けられた体験だ。甲子園口で友人にあった時、三時間かけて近所の人々と助け出した話など聞かされると、まずは自助、そしてき共助だ。

「阪神淡路」後の神戸は変わった。地震発生直後の自宅付近の光景は、倒壊建物から住人を救出し、安否の声を掛けて回り、トイレや電話を貸し借りするご近所さんの姿。

公的支援以前には、周囲の援助が次の行動のバネになる。敦賀市でも地域ごとの自主防災組織の結成も増えてきた。災害のためにでは狭量だが、近所とのつながりは大切だ。地域のちょっとした集まりに出向くのも、そのきっかけになる。

それでも、阪神淡路大震災の記憶は22年、風化が始まっている。敦賀市でも市庁舎をはじめ、旧市街地の家屋の耐震化は進んでいない。まだまだ教訓は多い。
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