大震災、福島の事故から6年、その影響が徐々に進むだけに
Date :2017-03-11(Sat)

今日で東日本大震災、福島の事故から6年の時が流れた。大震災前から福島の浜通り地域は人口減少が進み高齢化が進んでいた。そこに大震災は福島県浜通りを大きく変えた。一方、発電所では、5千人を超える作業員が日々、懸命に働いている。それだけに違った風景がこの地域につくられた。

原子炉内の惨状が明らかになるにつれ、廃炉作業が一体あと何十年かかるのか見通せなくなっている。2号機の溶融核燃料(デブリ)の実態把握を目指した自走式ロボットは、原子炉内部を撮影し、毎時650シーベルトという極めて高い放射線の推定量を出したものの、圧力容器直下までたどり着けなかった。

現場の作業員らはこの6年間、過酷な環境の中で懸命の作業を続けてきた。それでも廃炉工程最大の難関であるデブリ取り出しのめどは立っていない。

福島県内の避難区域は少しずつ縮小しているが、県内外で依然8万人近い被災者が自分の家に帰れないでいる。避難指示が解除されても身近な生活インフラが再興していない地域が多い。帰還者の多くはなお、不自由な生活を余儀なくされている。

敦賀市内にも被災者が県下でも一番多く80人を超える方々が家族で日々、懸命に暮らしている。一方、敦賀市の人口減少もこの6年間で自然減も含め2300人を超える方々が敦賀市を去っている。

来週3月15日にはエネルギー拠点化推進会議が開かれる。もんじゅ廃炉で研究拠点の核心を失う損失は、現場に働く雇用はもちろん、研究の拠点が大きく後退することを意味する。

市長に私は一般質問で「もんじゅ後の具体策を持つように」と迫ったが、市長からは「国の具体策を伺ってから」と、あまりにも消極的な答弁に終始した。

ナトリウム事故後のふげん廃炉の時は、もんじゅ再開の国の方針があった。今はそれがない。国は一方的にもんじゅ廃炉を敦賀市に伝え、粛々と廃炉作業が進む。白木には研究施設らしい研究施設はないと言っても過言ではない。

もんじゅ廃炉は徐々に進むだけに、ボディーブローのように5年、10年と経って地域に影響を与える。国は原子力研究に対して全体的な予算を徐々に下げている。大型プロジェクトの廃炉はもっとも大きい原子力研究だ。国は茨城県と並んで敦賀市を高速炉研究の拠点とするとしているが明確な構想を持っていない。拠点といいながら、時間の経過共に失うものの大きさが後でわかる、これでは遅い、それだけの危機感を持っている。

6年たって敦賀の町の活力が人口減少共に時間かけて失われてきた。もんじゅ廃炉の大きさも時間をかけて失われる。国体、北陸新幹線と目を奪われがちだが、後の祭りとならないようにしたい。
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