原子力支える東芝と敦賀市
Date :2017-03-30(Thr)

東芝はどうなるだろうか。敦賀市の金山に東芝プラントの寮がある。敦賀1号の定期検査なると、作業員と車でごったがえすほどの賑わいがあった。

福島の事故後、敦賀1号の対策工事などで東芝の工事関係者も多く敦賀に来られ、なかには福島からの被災者家族もあった。その工事も終わり、寮はいま、東芝プラントの看板を残したまま敦賀医療センターの駐車場になっている。

東芝はある意味、日本の原子力産業をリードする存在で、ウエスティングハウス(WH社)の株を取得し、世界の原子力をリードするリーディングカンパニーでもあった。

話は古くなるが「東洋のエジソン」こと田中久重は、江戸後期から明治にかけて国産初の蒸気船や電信機を次々作り上げた天才発明家である。「東芝」の創業者で「からくり儀右衛門」として有名だ。九州久留米の出身。

才を見抜いたのが佐賀藩。藩の求めで蒸気船やアームストロング砲、自転車を次々国産化。明治政府が命じた電信機も難なく作ってしまった。これが後の芝浦製作所に継承され、東京電気と合併して「東芝」が誕生した。

その巨大企業が粉飾決算や原子力産業の失策で瀕死状態だ。原子力発電所を支える綜合プラントメーカーであり、もんじゅ関係はもちろん、高速炉の技術者もいる。団塊の世代など第一線を退いた技術者も多い。

原子力だけでなく、事業の売却で蓄積した技術の海外流出が心配される。もんじゅ廃炉でまた、ひとつ、敦賀とのつながりが薄くなる。
スポンサーサイト
【2017/03/30】 | ページトップ↑
| ひとことトップ |