瀬戸大橋30年と北陸新幹線
Date:2018-04-11(Wed)

昨日、本州と四国を初めて陸路で結んだ「瀬戸大橋」が開通から30年を迎えた。

四国の高松で育った私には瀬戸大橋は、この30年、書かざるをえないほど存在だった。

開通の機運が高まったきっかけは1955年に起きた国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の事故。高松沖の鬼ヶ島とも言われる女木島(めぎじま)での衝突事故で、修学旅行中の児童を含む168人が命を落とした。

霧の中での衝突でそれ以降、霧が発生すると、いまの強風で湖西線が運休となるように必ず欠航した。そんなわけで試験など重要なことがあれば、前日にに本州へというのが常識になっていた。また、小学生の修学旅行は本州から高知へ変更になった。

瀬戸大橋の着工は悲願となり署名運動や募金など、私も街頭にたった。そして78年10月に着工。88年4月10日に開通した。私が大学進学してから後の開通だった。それでも何度もわたった。

道路と鉄道の併用できる橋としては世界最大級。最先端技術と巨額の費用がつぎ込まれた6橋からなる架け橋は、交流人口が増え四国の観光や経済に恩恵をもたらした。一方、本州への若者の流出を招き、人口減少が続いている。
 
建設費は約1兆1200億円で、後の2本もほぼ1兆円。いまだに建設の借金を払っている。当初は車で渡るのに5000円、往復で1万円と高かった。

開通当初は観光客が多かったが、数年で与島などの観光地は閑古鳥がなって多くの店がシャッターとなった。しまなみ海道も同じだった。
北陸新幹線敦賀開業は当初は多くの観光客が訪れると思われるが、その後はとの、つぶさに見てきた私には、北陸新幹線のメリットとデメリットをどうしても考えてしまう。統べてい薔薇色ではない、それほど大きな影響を与える北陸新幹線と思った方がいい。

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