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与謝野晶子と敦賀港 「ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火のーーー。」
Date:2018-05-02(Wed)

コイノボリがはためいている。なかでも色が浜のコイノボリは敦賀湾の静かな海とよく合う。

好天続きで気持ちよさそうだ。江戸時代、武家が男児の出世を願って幟(のぼり)などを揚げたのを、庶民がまねたとされる。コイは滝を上り竜になる登竜門伝説の主役。健康の願いもあるとか。

その西浦の山が緑に包まれ、花々が競うように咲き誇る季節となった。勢いのあるのはいい。

ところで、人道の港ムゼウムで観光ボランティアで紹介するエピソードがある。与謝野晶子が敦賀港からシベリア鉄道を通って与謝野鉄幹が待つパリへ向かった。

晶子のその人生をひもとくと、1900年に鉄幹が主宰する新詩社に入り、「明星」に短歌を発表。翌年上京して鉄幹のもとへ赴き、22歳で歌集「みだれ髪」を出した。

やは肌のあつき血汐(ちしお)にふれも見でさびしからずや道を説く君。

読むと、いまでも恥ずかしくなる。当時としては凄まじい句だ。あの時代、奔放的でさえある詠いっぷりは女性の共感を呼び、一世を風靡した。

一方、鉄幹は、やがて晶子の陰に隠れて注目されなくなり、うつうつとした日々を過ごすようになった。晶子は旅費を捻出して欧州に送り出し、7人の子どもを預けて追い掛けた。その一場面が敦賀港だ。素通りだがスエズ運河の船旅の半分もかからない。シベリア鉄道を使って17日間、当時、最短の道のりだ。

パリで再会の喜びを詠んだのが


ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟


雛罌粟とはヒナゲシのこと。真っ赤な花が燃え上がる心を見事に表現している。ムゼウムで紹介するとこっちまで熱くなる。欧州最短の敦賀港と与謝野晶子の勢いを紹介すると当時の敦賀の元気が伝わるからだ。


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