北朝鮮問題、万景峰号の敦賀港入港と拉致
Date:2018-05-11(Fri)

トランプ米大統領は昨夜、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長との初の首脳会談を6月12日にシンガポールで開くと発表した。朝鮮半島を含む東アジアの安全保障情勢の重大な転換点となる可能性があり、日本の外交・安保戦略にも影響を及ぼすのは確実だ。

だが、どう考えても日本はかやの外だ。

昔、といっても17、18年前か、北朝鮮の「万景峰(マンギョンボン)号」が敦賀港に寄港した。

当時、右翼の街宣車など敦賀市内が相当、騒がしかった。当時も深刻な経済危機が続く北朝鮮にとって在日朝鮮人が持ち込む現金や日用品は貴重であった。大きなトランクを抱えての乗客が乗り込んでいた。

今回の急展開は拉致問題解決の最後のチャンスかもしれない。

万景峰号が就航したのは昭和46年。在日朝鮮人の本土帰還を支援するため、北と新潟を結ぶ貨客船として建造されたが、初めて日本に接岸したのは八戸港の白銀埠頭だった。

就航の翌47年5月、貨物船として銑鉄を積んで入港した。46年も前のことでほとんど忘れられているが、約800人に上る在日朝鮮人が埠頭に詰め掛け、「マンセイ(万歳)」と大歓迎した。その後、新潟港を中心に敦賀港にも数度、寄港したと記憶する。日朝の貿易促進に関する合意など日朝関係の雪解けが進んでいるようみえた。

万景峰号も平成4年建造の2代目と2隻体制で表向きは貨客船、裏では工作船と姿を変えていた。

昭和54年(1978年)7月、23歳の地村保志さんと濱本富貴恵さんは、小浜市で工作員4人に拉致された。富貴恵さん、当時、3月まで敦賀の東洋紡ナイロン工場に勤務していた。

北の非核化を巡り米中韓の動きが喧(かまびす)しい。46年前に緊張緩和の象徴だったあの万景峰号の“変幻自在な船”はどうしているのか。完全非核化と北東アジアの平和、拉致家族問題―と難問が溶けるか、歴史的な出来事になるか、正直、わからない。

が、拉致被害者には最後のチャンスとも思ってしまう。敦賀市でも当時からでも私の知るだけでも行方不明者が数人いる。拉致とは言わないが、行方不明者は事件性がはっきりしないと忘れ去られる。
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