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拉致事件の現実と風化
Date:2018-08-01(Tue)

昭和55年(1980年)頃、敦賀市の西浦、縄間に[不審者に注意]という看板があった。この2年前に地村夫妻が小浜市で拉致された。この頃、ある女性が行方不明になっている。当時は神隠しとうわさされたそうだが、

この看板も理由があってのたて看板と推察できる。
昭和55年1月7日、サンケイ新聞朝刊一面トップにおいて「アベック三組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」などの見出しで、日本人拉致事件を初めて報じた。このスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、当時の日本では社会党をはじめ親北朝鮮勢力が政界で幅を利かせており、他のマスメディアも「サンケイは公安警察の情報に踊らされている」などとして追随して報道することも無く、拉致被害者奪還運動まで高まることは無かった。

平成9年(1996年)2月には拉致被害者、横田めぐみさん=同(13)=失踪事件(昭和53年発生)を報道。13歳の少女が北朝鮮に拉致された疑いを報じた記事は大きな反響を呼んだ。

そして平成14年の小泉元首相の日朝首脳会談で北朝鮮が認めたことで、初めて日本社会が拉致事件の存在を認識した。

その一方で、今の若い人は拉致事件のことを知らない世代が増え、このまま状況に変化がないと、『拉致事件は終わりなんだ』という空気が広がるのが現状ではないか。

日本社会の拉致事件に対する熱気は薄れているように感じる。

昭和55年1月7日付の1面トップに戻すと、《アベック3組ナゾの蒸発 福井、新潟、鹿児島の海岸で 外国情報機関が関与?》。53年に拉致された昭和55年7月7日地村保志さん、富貴恵さん夫妻、同年7月31日蓮池薫さん、祐木子さん夫妻、同年8月12日市川修一さん=拉致当時、増元るみ子さんの失踪を初めて取り上げた記事だった。

「日本海のほうで妙なことが起きている」。捜査関係者の一言から取材を始めた。図書館で各地の地方紙を調べていたところ、53年8月15日に富山県で起きたアベック誘拐未遂事件が目にとまった。現場にあった手錠、猿ぐつわ、布袋…。遺留品はいずれも日本製ではなかった。

いまでこそ、明らかにばっているが当時の全国の県警体制での横の連絡、情報共有がないことが捜査の遅れになった。そして新聞記者の調べで明らかになる、この国の課題がいまもあるように思う。

いずれにしても拉致がこの嶺南地域で行われた現実と風化を受け止めておきたい。
 

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