「100年に一度」という大不況の財政運営と駅舎改築・・・。
Date:2008−0106(Tue)
昨日は仕事始め。例年、挨拶回りで忙殺される。昨日の万歩計は軽く一万歩を越えた。朝は公設市場の初売りから始まった。これは、公設市場の運営協議会のあて職というのが理由だ。二十年ほど前に見た初売り風景とは、様変わりだ。人の動きも、物の動きも減っている。敦賀市の大きな課題のひとつだ。地産地消は叫ばれるが、現実の流通経路はそうではない。その後、職場、プラザ萬象と動く。ここに高木衆議はいなかった。 それは、昨日から異例の早さで始まった今年の通常国会が理由だ。麻生首相にとっては、経済、生活、雇用対策を柱とする第二次補正予算と来年度予算を成立させることが大命題だが、なりふり構わず、自治体泣かせの定額給付金を含んだ大型予算、問題も多く、舵取りを誤れば、またも国会が与野党双方の政局の道具となる。それほど国が定まらない未曾有(みぞう)の危機状態だ。 「100年に一度」という大不況。大企業の派遣切りはとどまるところを知らず、まっとうな労働者たちが、突然師走の寒空に放り出された。手のひら返しの仕打ちは、近年の製造業の好景気、そして「ものづくり大国」と胸を張るこの国の経済基盤が、都合のいい労働力に寄りかかった、極めて脆弱なものであったことをさらけ出した。それに少子高齢化、人口減少社会、どう受け止めるか、どの自治体も苦慮している。 これらしっかりと踏まえて、敦賀市の財政運営を考えるべきだ。JR敦賀駅舎改築の話、中心市街地の活性化など敦賀市の明日への投資の提案も多い。これには、国の財政支援が頼りだ。しかしだ・・。不況の時代の空気と今、市民が望んでいることは何か、的確に捉えることが大事だ。 私は常々、敦賀百年の計で物事を考えるべきだと議会でも言った。あれもこれもという時代ではない。社会保障のセフティーネット、安全・安心の公共工事、そして明日への投資の優先順位で物事を進めていくべき時代といってきた。 JR敦賀駅舎改築は誰もが望むが、優先順位ではどうか、決まっていないもの、あやふやなもの、二重投資にならないか、など、不確定要素がありすぎる。それに8億円という市税をつぎ込んでいいのだろうか。バリヤフリーへの協力と1億円程度の外装で十分ではないか。今は、辛抱と我慢が大事だ。同じ原子力発電所を立地している柏崎市の財政環境をみれば、一目瞭然、反面教師だ。石橋をたたいてわたる時代だ。それだけ市民の税金は血税の時代と考えるべきだ。時代と空気を読もう。 記者会見で市長が語るが、JR敦賀駅舎について、敦賀駅部という表現で、国の予算がどう下りてくるのか、まだ定かではない。どうしてあせる必要があるのか。もう少し検討と時間をかけてもいいのではないか。長浜駅は10年以上、JR西日本と協議を重ね、26億円かけて長浜市民の熱意で長浜駅をつくりあげた。 今の敦賀市行政の最大の欠点は、粘り強さと辛抱がないことだ。敦賀市民にその情熱が敦賀駅にあるだろうか。古い駅長室と改札口を残し、敦賀市が、待合室とトイレだけを直す中途半端な駅でいいのだろうか。イメージを優先するのであれば、10年後でも粘って原案通りの全面改築に持ち込むべきではないか。イメージでも実物でも中途半端なリニューアルでは長浜駅に劣る。 そんな中途半端な敦賀駅を構築するよりも、辛抱と我慢と熱意さえあれば、敦賀百年の駅ができると私は確信する。これからの建物は、日本では耐震が整い敦賀百年の駅ができる。30億円かけて立派な駅をつくろうではないか。あまりにも小さく拙速に動く行政に私は、疑問だらけだ。ましてや駅の待合室やトイレを敦賀市がリニューアルし、未来永劫、維持費を払い続ける理由が成り立つであろうか。買い取るとも言うべき中途半端性に税金をつぎ込む理由が成り立つはずもない。 繰り返しにもなるが、辛抱と我慢の年と何度も言ってきた。敦賀3,4号が着工してからでも、営業運転が始まってからでも遅くない。今の時代は現金収入を見て、物事を判断しても遅くない。まさに、「急いては事を仕損じる」だ。おもてなしとも言うが、生産性のない事業に税金をかけるほどの余裕があるのだろうか。私は難しいことは言っていない。ただ、辛抱と我慢、全体像を見通し、計画立案することだ。それだけのことだ。 民間ができるもの、リラポートで敦賀市は失敗をした。賛成した議会にも責任がある。一億円の赤字は、検討不足と料金の想定外が重なった。本来であれば、リラポートは倒産だ。失敗はもう許されない。そんな時代だ。リラポートの経験は重要だ。議会も行政もその教訓をしっかりと受け止めるべきではないか。 |
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