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坂川福井前市長の真面目さ・・・・・。ホテルは歴史の目撃者・・・。
Date:2008-02-04(Mon)

坂川前市長は、なぜか私にとっても印象に残る政治家だった。県議時代、2000年8月、敦賀のゴミ問題の集会に、県議でただひとり出席してくれた。当時、県議会の厚生警察常任委員長か何かで、そのあと、すぐに県議会応接室で話を1時間近く聞いていただいたこともある。福井新聞のコラムにあるように、立場の違いを言いながらも、愚直に対応してくれたことは、今も頭に残っている。

その後も、公式的なところだけだったが、会うたびに声をかけてくれ、印象に残ることばかりだ。福井の繊協ビルで、原子力委員会主催の「ご意見を聞く会」で、「推進の立場で意見を述べるときでも住民の立場の主張がなければ市議としてはいまひとつだ」と、厳しいコメントいただいたこともあった。

また、山根元県議の通夜の晩、遅く、福井より車を走らせてくれ、「山根県議には世話になったから」とぼっそと、いう言い方に、ひとがらが伺えた。

福井市長選出馬前に、民主党福井県連に推薦状依頼をもって一人で訪れてきた。青いネクタイが印象的で、身長もそれほど高くないこともあったが、腰が低く「福井市のために精一杯働きます」と言葉が、今も残っている。

民主党福井県連定期大会の市長就任早々、挨拶前に、私に「元気かい」と笑顔で声をかけてくれたのが、最後となった。

福井新聞のコラムの最後に、「自分の言葉で福井市の未来を語り、実現に正面からぶつかる姿は悲壮感もあった市長としての時間は短かったが印象に残る政治家だった。」と。まったく同じ思いだ。

不謹慎とは思うが、選挙3か月前に、事務所でがん再発で出馬断念を伝えた山根県議、市議選直前に命を終えた小谷市議と、なぜか重ねている。いずれも真面目で、行動が人柄に現れる方ばかりだ。それと選挙という負荷がのしかかると体をむしばむことと重なるのかもしれない。いずれにしても、ご冥福を祈りたい。


・・・・・・ホテルは歴史の目撃者・・・・・・

今日は、ここからが本題だ。書き進めながら、長くなってなってしまった。なぜか、この話題と重ねているのである。

昨日は、対外友好教会の主催の外国人とのふれあい交流会。ロシア語の通訳で来たある方が、昨年上演された「熊谷ホテル」のCDをもっていた。知り合いのロシア人に手渡したいと持ってきたとか。残念ながら今年はロシア人の顔が見えなった。

ホテルは歴史の目撃者であり、社会の成熟度を映す鏡でもあると、私は思っている。敦賀の「熊谷ホテル」は、ある意味では敦賀発展の歴史そのものだった。敦賀の「熊谷ホテル」は、小さいが、大和田銀行と並び、当時の敦賀の文化の象徴でもあった。その裏にはひとがいる。小さいは小さいなりに誇りもあれば、モラルを持っている。先日のグランドプリンスホテル新高輪の決定は、何を映し出しているのだろうか。

右翼団体の抗議行動を恐れて、日教組との契約を一方的に破棄した。地裁と高裁の決定にも従わなかった。法治国家としてのルールを無視して、民主主義国家の根幹である集会の自由を奪ったのである。「名門ホテル」のやることではない。

私は、東京時代に2度ほど日教組の集会に呼ばれて参加したことがある。10年ほど前も、物々しい警備と右翼のアジは相当なものだった。それでも地元の施設もホテルもしっかりとやりぬき、守り抜いた。今でも同じことは最初からホテルは理解できたはずだ。わかって了承していたはずだ。

一昨年、話題になった「ホテル・ルワンダ」は、胸が熱くなる作品だった。1994年、部族間の争いでルワンダ国民約百万人が虐殺される中で、欧州系ホテルに逃げ込んできた約1200人の避難民を現地支配人は懸命に守り続けた。名門ホテルの誇りに懸けて「客」となった避難民を守るため、欧州の本社は有力者への働き掛けなどあらゆる影響力を駆使する。

ホテルマンの友人は、「海外で、料金と安全は比例する、そんな認識がほしい」と。海外で、ホテルは、市民社会の歴史の中で磨かれてきた「文化装置」だと痛感する。ひとたび契約を結べば、利用者の安全と人権を守るために全力を挙げる。これが、ホテルの「もてなし」の原点だろう。大事なことが失われているのではないか・・。




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