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敦賀の山車、元気度の尺度でもある。
Date:2010-01-20(Wed)

昨夜、友人を敦賀駅に送った後、山車保存会の方と元町で飲む機会を得た。敦賀港にも栄枯盛衰がある。繁栄のひとつが、江戸時代初期の北前船の時代、その繁栄の象徴が山車(やま)。毎年の気比神宮の大祭、山車の元気度が敦賀の活気でもある。

敦賀城の城主「大谷吉継」の町割りで町の基礎、笙の川から児屋の川まで36の町から成り、港に向けて縦筋の町並みを形成した。その当時の繁栄ぶりを井原西鶴が「日本永代蔵」に記している。

9月4日の気比神宮の大祭に出る山車は、北前船全盛時30基あったとか。明治初期には12基になり現在は6基。それも気比神宮の境内にあった蔵が焼け3基だけが残った。平成の時代になって山車保存会の皆さんが台車をもとに復元して6基に復活させた。ここまで書きながらわかるのが、基礎は大谷吉継こと行政だが、繁栄の源泉、元気は、庶民、商人の力であることが理解できる。

話を昨日に続けるが、福井新聞で小林投手の記事を読みながら、1978年当時は、阪神ファンでもあったせいか、鮮明に覚えている。阪神に移籍して小林投手の活躍は見事だった。79年の対巨人戦は8勝0敗だった。計22勝を挙げて最多勝も獲得した。まさに世間は拍手喝采だったし、阪神フャンは盛り上がった。甲子園球場の盛り上がりも凄かった。小林投手の一球一球に球場が沸いた。球場という独特な環境、歓声がファンに元気を与え、気持よく敦賀に帰ることができた。大げさかもしれないが、日本が元気だった。

78年、テレビには「ピカピカの一年生」のCMが茶の間に流れ、街には山口百恵さんが歌う「いい日旅立ち」が流れ・・・王貞治選手の通算800号本塁打にわいた年でもある。敦賀の本町も元気だった。新年会か、雪の中でも、人があふれ肩を寄せ合って飲んだものだ。昨日もこの当時からある店で久しぶりに人が集まっていた。今は、違うかもしれないが、本町の元気度は敦賀の活気にも通じると、私は思っている。

昨日の昼、敦賀短大で東洋紡の工場に学校があったという話になった。新潟県などから「金の卵」と言われた若い女性が多く集まり、敦賀の活気にもつながった。まさに民間の企業の力だ。現在では、敦賀短大や看護学校で百人にも満たないが市外から若者が来ている。経済効果もさることながら活気の源泉でもある。

基礎体力という言葉がある。基礎体力は、簡単にいえば元気度とも通じる。人の場合、基礎体力が落ちるといろんな病気を引き起こす。その伝で言えば、敦賀の基礎体力はどうか。基礎体力もそうだが、元気、活気のバロメーターは多い。何よりも企業であり、庶民であり、若者であり、いろんな尺度をもちながら、敦賀の活気を考えることも大事だと思う。繰り返しにもなるが、行政はあくまでも基礎、後押しであったり、仕組みをつくったりで、まちの元気度、活気は、企業であり、庶民であり、市民であり、若者である。敦賀の山車はその尺度でもある。歴史から学ぶことは多い。
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