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上海万博、大阪万博と敦賀
Date:2010-05-02(Sun)

中国で昨日、上海万博が開幕した。中国はここから新たな歴史を開くだろう。日本では、もはや大阪万博を知らない世代が社会の中心にいる。職場などで「バンパク」の話になると世代間ギャップが際立つ。1970年の大阪万博を知る世代と、知らない世代である。団塊の世代はまさしく象徴的なのが「大阪万博」だ。

高校を卒業したばかりの私にとって、その印象は強烈だった。大阪万博はアジアで初めて開かれ、戦後復興を遂げた日本の「成功」の象徴だった。

敦賀にとっても、敦賀1号機の万博への送電は「原子の灯」で活気的なことだった。このときは報道も「人類の進歩」が語られ、どれも絶賛の記事だけだった。天下の朝日新聞も批判的な記事は一切なかった。原子力発電の未来は輝かしいものだと誰もが思ったに違いない。大阪・千里丘陵に開かれた未来都市に約半年間の開催期間中、約6400万人が押し寄せた。国民の2人に1人が入場した計算だ。

まさに、万博のテーマは「人類の進歩と調和」だが、進歩が優先されたイベントだった。ただ、「調和」の言葉の中には、構想段階で意識されたのは核や公害など科学技術の逆説や開発への異議申し立てといった、むしろ戦後の「不調和」だったという。だが開幕してみると、メディアの過剰報道とあいまって高度経済成長の先の豊かな未来ばかりが強調されてしまった。このころの報道と今日の報道もどちらかに偏る姿勢には変わりないような気がする。

4年後の1974年の原子力船「むつ」の放射線漏れの報道は、原子力の扱いを大きく変えた事故でもあった。朝靄に漂流する紫の「むつ」の船体が、私の脳裏に刻み込まれている。当時の原子力報道の変り様は、あまりにも極端だからだ。その後の昭和56年の敦賀1号機のさまざまな報道は、現場にいた私にとっては、原子力船「むつ」の職員の苦しみを自ら感じるとは、不思議な思いだった。

その後、高速増殖炉「もんじゅ」の14年前のナトリウム漏れも、もんじゅの現場で働く友人がテレビに出るたびに、原子力船「むつ」、敦賀1号機と重ね合わせていた。

大阪万博が、輝かしく演出された人類の未来像が日本人に夢を与えたのは確かだ。大阪万博で、「月の石」を何時間もかけて並ぶ辛抱強さは、当時、マスコミは「進歩と調和」を「辛抱と長蛇」ともじった。

あれから40年、敦賀1号機40年。原子力も、地球温暖化の切り札として再評価されつつある。敦賀市にとっても財政、雇用、充実した施設など、他の自治体ではないメリットと、よく言われる市民力などデメリットとは何か、見つめ直しながら、今後のもんじゅ再開、敦賀3,4号の建設と運転と新たな時代をむかえる。これからの40年も原子力とともに歩む敦賀の有様も大事だ。
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