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敦賀市と境港市の違い(地獄を突き抜けた果ての明るさとユーモア)
Date:2010-05-04(Tue)

朝の8時。テレビドラマ「ゲゲゲの女房」が連休で見る機会が増えた。ゲゲゲものには、発想が違うのか、経験がそうさせるか、若い時に読んだ「あしたのジョー」などとは違った怖さよりもユーモアがある。境港市を訪れても敦賀市とは違う独特の地域環境がある。

なんといっても水木さんは太平洋戦争の体験が大きいのだろう。歩兵として南方のニューブリテン島ラバウルに出征。マラリアにかかって死線をさまよい、敵機の攻撃で左腕に重傷を負って切断手術を受けた。

膨大な作品のなかで最も愛着があるのは「総員玉砕せよ」だという。突撃から生き残った兵に、さらに死ぬためだけの突撃を命じる上官。終幕は画調がリアリズムに一変、累々たる日本兵の死体が横たわる。鬼気迫る場面が訴えるのは「聖戦」「皇軍」の実相と兵士の無念だ。水木しげるの作品で、このほかに、戦争体験をもとに、創作した「ラバウル戦記」「トペトロ の50年」は読みごたえ、見ごたえを感じる。体験が生かされた作品は迫力がある

1945年7月12日の敦賀大空襲とは違い、水木しげるの故郷、境港市は空襲を幸いというか受けていない。それだけに街並みも狭く、古い商店街は、30年ほど前に訪れたが、どこの地方都市よりも寂れて見えた。それを市職員の発想で変えた。

鳥取県境港市は、中心市街地活性化ひとつとして、「水木しげるロード」を市職員の発想で作り上げた。表面的な鬼太郎などのユウモラスの体形が並ぶ道筋。しげる81歳の誕生日に開館した「水木しげる記念館」も合わせ、戦争体験はみじんも感じさせない、ユーモアが先行だが、市の職員の話を聞くと、「水木さんの作品は、地獄を突き抜けた果ての明るさとユーモア」とか。古い商店街を変えた発想は、失礼だが、全国よりも先に進んだシャッター街にあったかもしれない。

境港市のシンボルロードは、市職員の発案で1993年に整備され、境港市出身の漫画家水木しげるさんが描く妖怪の像は、当初の23体から139体に増えた。観光客数は、累計で1000万人を達成し、今も増加を続けている。
水木しげる記念館のリニューアル、ゲゲゲの鬼太郎の映画化、NHKの朝ドラへと、発展と進化には、市職員のたゆまない努力がある。自らも観光ガイドをするなど、少ない予算の手作りでシンボルロードを観光地に仕立てた。お年寄りの多い商店街だけでは、どうにもならない状況を若い職員が先導している。

もうひとつ、悔しいというか、県の対応がこれほど違うのかと実感させられることがある。東海市は、敦賀市とは姉妹都市でありながら、先行されている。貨客船の定期航路の就航だ。韓国の海運会社「DBSクルーズフェリー」(本社=韓国・東海市)の事務所も境港市にある。当然、民間レベルの交流も観光まで及ぶ。さらに、東海市と鳥取県境港市、ロシア・ウラジオストク市を結ぶ。これも先行されている。

原動力は、鳥取県の働きかけの凄さにある。当然、助成金も半端ではない。貨客船で東海~境港間(約14時間、旅客片道運賃平均96ドル)を週2回、東海~ウラジオストク間(約1日、同170ドル)を週1回結ぶ。当初の3年間は境港への寄港1回につき、鳥取県などの地元の自治体が100万円を上限に同社を支援している。

最近では、日韓ロ定期貨客船の利用促進が課題となっている境港で、輸入貨物量を確保しようと、鳥取県は2010年度から2フィート換算でコンテナを年間100本以上扱う荷主企業に対し、3年間で最大2250万円を助成する制度を導入した。境港-東海間では、3万人を超え、韓国からの旅客は境港市は、もとろんのこと、米子や真庭、江府、松江などに宿泊し、あるいは松江城周辺や鳥取砂丘、大山などを周遊し、相応の経済効果を生んでいるとか。しかし、貨物は、この不況で、コンテナ、バラ積みともに苦戦している。それだけに鳥取県の腰の入れようは半端ではない。

先日、敦賀観光協会の会長との話題に、「京都を訪れた韓国、中国の観光客は、敦賀を素通りして金沢へと足を運んでいる。」と、率直に語ってくれた。それもただ単に、京都から金沢に足を運ばしているのではない。石川県の観光客受け入れの戦略があるからだ。

敦賀市のスリーナイン、銀河鉄道と、商店街に並ぶ像も境港市の二番煎じで、発展性はなく、設置されたままだ。すくいは、JR直流化で訪れた観光客が写真におさめる程度だ。また、何度か検討され、消えた東海市との定期航路、今も検討されているが、実現すればこれも、境港市の二番煎じだ。それでも私は、地政学的な優位性は敦賀が上と思っている。境港市の財政力、産業力ともいうべき総合力は、敦賀市が優っているが、それだけに甘んじてはならない。こと港、観光に関しては、福井県の対応もあろうが、エネルギーの街の選択はよかったが、次への展開をどうするのか、どう発展させるのか、長期的な地道な活動と働きかけがが、今日の結果であることは確かだ。

議会で何度か、発言や質問もしたが、勉強不足か、現実の境港市の取り組みを見て、敦賀市が足らないのはなにか、反省すべき点は多い。市の総合計画では「国際交流都市」の言葉が今年も表題となりそうだが、それをどう具現化するか、言葉ばかりが先行して現実がどうなっているのか、敦賀市の港湾戦略、観光戦略など長期ビジョンと実現に向けた努力が足りなかったことに尽きる。

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