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参議院選挙が終わってPRAT2
Date:2010-07-14(Wed)

どうしても参議院議員選挙の敗北の余韻が残っている。3年定期に訪れる選挙は、その時々の世相と共に覚えている。ここ20年を超える参院選の軌跡は次のようだった。「山が動いた」与野党逆転の大乱(1989年)。夏休みの低投票率と日本新党の登場(1992年)。新進党が自民に肉薄(1995年)。不況下の失政、橋本政権崩壊(1998年)。小泉旋風で自民圧勝(2001年)。年金で民主が改選第一党に(2004年)。政権交代に第一歩になった民主党(2007年)。そして今回の民主党の惨敗。

中でも、印象に残るのは、おたかさんの「駄目なものは駄目」という消費税での発言、わかりやすかった。平和堂前の集会は、1000人を超え、動員以上に人が集まり、観衆のどよめきと拍手が敦賀の街に響いた。わかりさすが、票をのばした。今回も民主、自民よりも「みんなの党」が受け皿になった。先日の平和堂の蓮ホウさえも、さびしい状況だ。動員で人を集めてもさびしい現状を、何度も感じるようになった。逆に動員がなければ、民主、自民ともに、悲惨な状況も続いている。

時間の流れを客観的にみると、衆院選に劣らず、日本政治の流動ぶりがうかがえる。バブルの虚像が崩れ始め、長い沈滞のトンネルへ。そして苦闘のはい上がりが続いた平成の歩みが、それらの選挙にも色濃くにじむ。日本も地方である敦賀も共通するかにように、その時々で選挙は、時代を反映している。

参院選は、その道程に消費税が何度か絡み、どれも否定された。その間に、国の借金は、900兆円、少子高齢化、人口減少だけならいいが、国の元気もなくなり、地方である敦賀の元気ともいえる本町も昨夜も小雨模様で人通りがなく、活気がなかった。

憲法に定められた参院は66歳を迎えた。当初、マッカーサー草案では一院制だったとか。これを日本側の強い要望で衆院と二院制にした。その理念は社会の職能代表、高い知性の合議体など、理想は高い。ところが、選挙の歴史は、それとは関係がないように遠ざけてきたのか、振り返ると不思議と、意外と軽いところで民意が動き、節目を迎えてきた参議院選挙でもある。それも民主主義でもあると感じる。

ところで、敦賀市の人口も68,879人から10年後の平成平成32年には65,500人と予想されている。それを新たな総合計画案では、67,000人にとどめようというものがまとまった。この9月議会に基本構想が上程される。議会への説明会は23日とか。

時代は明らかに人口減少社会、どう減少を最小限にとどめるか。産業団地誘致、敦賀新港の活性化、そしてエネルギー研究拠点化と施策のメニューは豊富だが、どれも国の施策と財政状況とも関連する。

敦賀市独自で言えば、基盤となる、もんじゅの再開と運転、敦賀3,4号の本格着工と運転が予定されるだけに、どう生かすか、活気いを取り戻すか、この程度なのか、次なる総合計画の重要性は今まで以上に重い。

今度の選挙でも、議論が深まらなかった年金や医療、格差など暮らしの問題から、憲法や教育など国の姿も問うまでにはいかなかった。結果として二大政党化よりも分散化に動いた。

厚い雲の切れない生活現場、敦賀の象徴でも本町も活気を失っている。参議院選挙の結果は、結果である。一票が重い選挙となった。負け惜しみはもうよそう。
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